経歴

幼少時代――世界に憧れる子ども時代。

ぼくが生まれたのは昭和46(1971)年。
自宅の裏には自然溢れる里山が広がっていて、そこで釣りをしたり、昆虫採集をしたりと、なかなかワンパクな子どもだったようです。世界を股にかけるエンジニアの父が聞かせてくれる、異国情緒溢れる土産話が大好きで、その頃から「大人になったら、ぼくも世界中を旅して回るぞ!」という夢を描いていました。

学生時代――サッカーに明け暮れる日々。

中学、高校は大好きなサッカーに打ち込み、中学ではキャプテンも務めました。高校でもチームの要として活躍し、部活動を通じて、チームプレーの大切さを学びました。大学に進み、体育会サッカー部に所属するも、子どもの頃からの夢を叶えようと、アルバイトで貯めたお金で中南米・アフリカなど20数カ国を巡る旅へと出発。
 初めて自分の目で見た海外はカルチャーショックの連続でしたが、貧しくともたくましく生きる人々、楽しげに音楽を奏でる姿は世界共通で、そのときに出会ったさまざまなものが今のぼくを形づくっています。

就職活動――人生初めての挫折と大震災。

旅から戻り、海外で働くことができる仕事をと就職活動を始めましたが上手くいかず、ぼくは人生初の挫折を経験しました。
 その後、外務省専門職という公務員試験があることを知り、「人の役に立つ仕事がしたい」と受験することを決意します。一日十時間の勉強を毎日一年間、後にも先にも人生で一番勉強した時代だと想います。 そんなときに起きたのが、あの未曾有の大地震、阪神・淡路大震災でした。まさに受験勉強の真っ最中でしたが、ぼくは勉強を一時やめて災害救援のボランティア活動を始めました。このときの救援活動が後の海外での災害復興ボランティア活動などに結びつき、防災、危機管理の重要性を訴える今現在の活動の源となっています。
 結果、外務省には就職できませんでしたが、倍率20倍ほどの難関を突破して、芦屋市役所に合格しました。あきらめずに挑戦すれば必ず結果が出る、そう実感した就職活動でした。

市役所時代――苦しむ人々の目線に立って考える。

市役所では、生活保護受給者のケースワーカーとして、高齢者や障がい者、母子家庭、虐待などの問題に取り組みました。さまざまな問題に出会うなかで、何ができるのか。「一番大変な人の目線で、一番苦しんでいる人のために」、ぼくのライフワークとなるこの課題はこのときに生まれました。また、二期務めた労働組合の執行委員長としても、労働問題のみならず、保育所の待機児童問題、地域医療を守る取り組みを行いました。

兵庫県議会議員――そして、これから。

ぼくは芦屋市役所で十四年間行政にたずさわり、福祉をはじめ、さまざまな行政課題に取り組んできました。そのなかで、声なき声を行政に反映させるためには、現場に出かけ、一人ひとりの悩みに耳をかたむけ、その問題に素早く対応していくことが一番大切だと実感しました。
 そして現在、五歳と三歳の二人の子どもの父親として、子育て支援の必要性を痛感しています。子育ては親と子だけの問題ではありません。地域ぐるみで子どもたちを守っていかなくてはなりません。そのためにも、若者の雇用対策に取り組み、高齢者や子どもたちが安心して暮らせる健全なまちづくりを目指しています。
 「行政のエキスパート、社会で頑張る青年世代・子育て世代の代表」島山清史として、スピード第一、現場主義で須磨から兵庫を変える決意で戦っていきます。